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 続日本100名城スタンプラリー


 190.八代城


 現在の熊本県に当たる肥後国南部の重要拠点とされていたのが八代地方である.古くは南北朝時代に河口に近い球磨川右岸の山地帯に古麓城と呼ばれる城郭群が築かれ,戦国時代にかけてしばしば戦いの舞台となった.
 豊臣秀吉による全国統一がなされると肥後国南部を所領とした小西行長は本城の宇土城とは別に,八代の地に新たな城を築かせた.今度の城は球磨川の北岸の海に面した城郭だった(土地の名前を取って麦島城と呼ばれる).これはすでに秀吉の世になっていたたことから,防御を重視した中世的な城ではなく,港に面した交易のための城だった(中世の古麓城は廃城となった).
 関ヶ原の戦いの結果小西家が改易となり,肥後国はほぼ加藤清正の所領となる.加藤氏の拠点は熊本城であるが,麦島城も引き続き支城として維持された.しかし元和五年(1619年)の大地震で麦島城が倒壊してしまったため,幕府の許可を得て改めて築かれたのが今回のテーマとなる八代城(松江城)である.これは大坂の陣の後の一国一城令の中では珍しい例だった.
 新しい八代城は球磨川北岸,麦島城よりも北の平野部に築かれた.中心部に本丸を置き,内堀を挟んで東と南に二の丸,西に三の丸,北に北の丸が配置された輪郭式の平城である.本丸には御殿のほか大小2つの天守,8つの櫓が設置されるなど支城とは思えない壮麗な城郭だった.ただし大小の天守は寛文十二年(1672年)の落雷で焼失し,以後再建されなかった.
 寛永九年(1632年)に加藤忠広が改易され,肥後の領主が細川家に代わると同家の筆頭家老松井氏を城主に入れ幕末に至る.明治維新後は廃城となり建物類はほとんど破却され,本丸と内堀以外はほぼ市街地化している.それでも本丸部分のみは石垣がよく保存され,往時の姿をしのぶことができる.

本丸の石垣と内堀

本丸表口

大天守台

大天守台から唐人櫓跡を見る
 

北側からの廊下橋跡

本丸にある八代宮

本丸の井戸跡
 
  (登城日 2018年11月4日)    
 
八代城へのアクセス: JR鹿児島本線八代駅から八代市街地循環バスにて10分八代宮前下車すぐです(乗車案内).  

スタンプの設置場所 八代市立博物館未来の森ミュージアムにあります

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園なので,誰でも気軽に散策できます.

 


 

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