箕輪城は群馬県高崎市の郊外にある平山城である.築城は戦国時代,永正九年(1512年)に長野業尚によるといわれている(大永六年(1526年)に長野憲業によるという説もある).室町時代,この地域は幕府の鎌倉府の支配下にあったのだが,鎌倉府の長官である鎌倉公方とその補佐役の関東管領との対立などがあって元々政情が不安定な状態が続いていた.長野氏は関東管領を世襲していた上杉氏の重臣であったが,16世紀に入って相模の北条氏や甲斐の武田氏が攻め込んでくる状況になり,天文21年(1552年)上杉氏が越後に脱出してしまった後は,単独でこの城に残って防衛にあたることになった.弘治三年(1557年)以降たびたび侵攻してきた武田信玄の攻撃を受け,箕輪城は何度も危機に陥ったが,城主長野業正以下結束して奮闘し,ことごとく撃退に成功している. しかし永禄四年(1561年)に業正が没すると武田の攻勢が再開され,ついに永禄九年(1566年)に箕輪城は落城となった(このとき城主だった業正の子業盛は父の遺言に従い,城を枕に討ち死にしている). その後武田氏の滅亡後は信長傘下の滝川一益,ついで北條氏直の支配となり,徳川家康の関東入封後の慶長三年(1598年)に廃城となった.この時最後の城主だったのが後に彦根藩主となる井伊直政である.
スタンプの設置場所 箕郷支所内にあります.土日祝祭日は裏口から入って当直の職員に声をかけると出してくれます(夕方5時半まで).
登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 城内は結構広く,見て歩くとそれなりに大変です.