三重県の県庁所在地である津市,全国で漢字一文字の自治体はいくつもあるが,かな一文字の市町村はここだけである.「津」という言葉は本来「港」と同義であり,当地は安濃川の船着場があったことから,中世から安濃津と呼ばれ伊勢国の中心地だった.
そんな津に城郭が築かれたのは戦国時代後半の永禄年間,伊勢国の有力国人長野氏の一族細野藤光によって安濃川と岩田川に挟まれた平地に砦が造られたのが端緒とされている.
永禄11年に織田信長の伊勢侵攻によりこの地は織田家の支配するところとなり,翌年信長の弟信包が城主として入る.彼によって本格的な築城が行われ石垣や五重の天守が築かれた(この時信包に進言し城の縄張りを張ったのが伊勢侵攻の主力を担った滝川一益だったという説がある).
本能寺の変を経て豊臣秀吉の時代になると,秀吉の側近であった富田一白が5万石で入城,その子信高と2代にわたってこの地を治めた.慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いで富田信高は東軍方として参戦,前哨戦となった安濃津城の戦いにおいて1,500人と寡兵ながら3万ともいわれる西軍を相手に籠城戦を戦った.最終的には開城となったものの,その奮戦ぶりを称えられ戦後2万石の加増を受け,さらに慶長十三年(1608年)には伊予宇和島10万石へ加増転封となった. |
藤堂高虎が築いた石垣 |
内堀 |
丑寅櫓(往年のものではない) |
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