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 日本100名城スタンプラリー


 15.足利氏館


 日本100名城のなかで「〜城」という名称がつかない城が5か所ある.北海道の根室半島チャシ跡群,五稜郭,山梨の武田氏館,九州の吉野ヶ里,そして今回のテーマ足利氏館である.栃木県の城郭というと県庁所在地にある近世城郭で,江戸時代初めの「釣り天井事件」の舞台で幕末の戊辰戦争では戦場になった宇都宮城があるのだが,明治以降の都市化によって遺構がほとんどなくなってしまっていることから,こちらの足利氏館が選ばれたものと思われる.
 足利氏は言うまでもなく武家の名族で,もとは清和源氏の流れを汲み,鎌倉時代には有力な御家人の家柄であった.ただ源家将軍滅亡後幕府を牛耳っていた北条得宗家とは距離を置いていたようである.
 13世紀後半の二度の元寇によって,各地の御家人が窮乏し国内が混乱に陥ると,政権を取り戻すことを画策していた後醍醐天皇が挙兵,これに協力して倒幕実現に大きな貢献をしたのが足利尊氏であり,彼ももちろん足利氏の一族である.足利氏の祖は八幡太郎源義家の三男源義国で,その子義康が足利庄を領有したことから,以後足利姓を名乗ったとされている.そんな義康時代(12世紀半ば)に造られたのが,現栃木県足利市にある足利氏館で,現在は鑁阿寺となっていますいう寺院になっている.
 もちろんここは戦いのための砦ではなく,また大大名が自らの権勢を誇る場所でもないので,深い堀や堅牢な石垣,壮麗な天守などは存在しない.しかし四方にめぐらした土塁や堀,門などからは,中世の身分の高い武士の館の面影が覗かれる.境内には本堂や鐘楼などの重要文化財も多数並んでいる.
 今はただのお寺になっている足利氏館がはたして城なのかという議論はあるのだが,近世城郭も為政者の住居としての側面が強いことを考えればこれも立派な城といえるのであろう.

足利氏館の山門

鐘楼(重文)

本堂(国宝)

経堂(重文)
 
 足利氏館の近くには日本最古の総合大学といわれる足利学校もある.こちらは古くは平安時代から存在するとされる学問所で,室町時代の15世紀ごろから隆盛し,戦国時代に来日したフランシスコ・ザビエルも,「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と記述している.
 いわゆるお城のイメージとはかなり異なるが,日本史の中でもイマイチマイナーな室町時代が関連する史跡として見るべき価値は多いだろう.
 (登城日 2008年8月9日)
 

御霊屋

多宝塔

周囲には水堀が
 
 
足利氏館へのアクセス: JR両毛線足利駅から徒歩10分(案内標識あり),東武伊勢崎線足利市駅徒歩15分  

スタンプの設置場所 お寺の本堂の販売所に置いてあります.

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 現在はただの歴史あるお寺です.

 


 

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