ホーム
海外旅行記録
国内旅行記録
非日常の世界
日常の世界
幕末・新選組の
小部屋
”100”の小部屋
学問の小部屋
ビザンチン帝国
とは
SINCE 2011年9月25日
日本100名城スタンプラリー
14.水戸城
水戸は現在は茨城県の県庁所在地であり,江戸時代には御三家のひとつ水戸徳川家の土地であった(水戸藩).水戸藩の開祖は徳川家康の十一男徳川頼房で二代目が
水戸黄門
で有名な光圀となる.
水戸藩は表高35万石と御三家の中では最も規模が小さい藩だったが,実高は30万石未満とさらに少なく,その一方御三家ということで格式だけは高かったため出費の方は多く,常に財政難に苦しんだ藩であった.幕末のオピニオンリーダーとなった藤田東湖の息子の藤田小四郎も,「
子供の頃大根一切れもらうのに,頭を下げなければならなかったのが一番辛かった
」と言っているほどである(図説幕末・維新おもしろ事典 三笠書房より引用).
水戸藩は学問がさかんな藩で,光圀が編纂を始めた大日本史をはじめとする水戸学は幕末の尊皇攘夷思想の理論的支柱となり,また九代藩主の徳川斉昭は藩校である弘道館を作り学問の普及に力を入れた.
そんな水戸藩の居城だったのが水戸城で,今の水戸市の中心部,JR水戸駅の北側にあたる.再開発によって当時を偲ぶものは多くはないものの,先にあげた弘道館のほか空堀や土塁などの遺構が随所に残されている.
三の丸に残る藩校弘道館です.
梅まつりの期間の土日のみ開放される正門
弘道館内にのこる尊攘の文字
特に本丸跡に立つ茨城県立水戸第一高等学校の入り口にある
薬医門
は貴重な当時を偲ぶ建築物となっている(明治以後,三階櫓も現存していたが昭和20年の戦災で焼失してしまった).
幕末になると水戸藩は藩主斉昭や藤田東湖などの優れた思想家の登場によって,尊王攘夷運動の魁となった.しかしやがて藩内は天狗党(尊王攘夷派)と書生党(保守派)による血で血を洗う内部抗争に陥り,そのために有為の士を多数失うこととなり,結局明治新政府で活躍する人材を送り出すことができなかったのが残念である.
(登城日 2008年8月10日,2009年3月1日)
現水戸一高に残る薬医門
警察署の脇にある空堀の遺構
三階櫓の跡地(今は何もない)
水戸城へのアクセス: JR水戸駅北口から徒歩10分程度です
スタンプの設置場所 弘道館の受付にあります(言うと出してくれます).
登城のハード指数(★☆☆
ハードではありません)
遺構は散らばっていますが比較的楽に見て歩くことができます.
スタンプ
トップページに戻る
日本100名城トップへ