日本100名城&続100名城に選ばれている城郭を都道府県別にみると最も多いのが兵庫県の8か所,続いて長野県,静岡県,愛媛県の7か所である.このうち静岡とは東海道という重要な道筋にあたること,兵庫は山陽道,山陰道の道筋で都にも近いことが挙げられる.一方で長野県は山がちで大きな大名ではなく小豪族が割拠していたのが理由であろう.今回のテーマである高島城はそうした信濃の城郭のひとつである.
中世に諏訪地方を支配していた諏訪氏の拠点は茶臼山城だった.現在その遺構はほとんど残っていないが,時代を考えると高台にある山城あるいは平山城だったと考えられる.戦国時代になり武田氏の時代になってもそれは変わらなかった.しかし武田氏が滅亡し,さらに本能寺の変を経て豊臣秀吉の時代になった天正十八年(1590年)にこの地に封じられた日根野高吉が新たに諏訪湖畔に築いたのが高島城である.当時は戦乱の時代から太平の時代への移行期であり,不便な山城ではなく開けた土地を拠点とすることが求められたのである.元々築城の地は湖畔の島状に突き出した土地で,漁業を営む集落があったが,高吉は住民をすべて立ち退かせて城を築いたという(もちろん立ち退きに当たって漁業権の付与など利便も与えた).
縄張りは本丸・二ノ丸・三ノ丸が一列に並ぶ連郭式で,周囲は湖と湿地帯に囲まれ,遠くから見ると城が湖に浮かんでいるように見えたことから,浮城と呼ばれた.城は石垣が積まれたほか,天守も作られている.城下町も整備され,これは後の甲州街道上諏訪宿の元となる.
関ヶ原の戦いの後慶長六年(1601年)に日根野氏は下野国に転封となり,代わって諏訪頼水が入り諏訪藩が立藩されると藩庁が置かれた.その後江戸時代を通して諏訪氏の支配が続き,明治維新に至る.廃藩置県後廃城となり建物は全て破却あるいは移築された.本丸跡地には明治期に護国神社が置かれ,その後二ノ丸,三ノ丸は住宅地となり,本丸のみが高島公園として整備された.昭和45年(1970年)には天守や門が復元され現在に至っている. |
復興天守 |
冠木門 |
角櫓 |
城内にある亀石 |
境内にある護国神社 |
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