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 日本100名城スタンプラリー


 12.会津若松城


 福島県を代表する城郭が会津若松城である.会津というとドラマや小説の影響もあり,江戸時代の会津松平家とその流れからくる幕末の京都守護職松平容保白虎隊,さらには新選組などが連想されるが,城としての歴史はそれよりもずっと古い.室町時代である14世紀に葦名氏(この一族はその後戦国時代までこの地を支配する)によって築かれたのが始まりであり,当時は黒川城と呼ばれていた.戦国時代の1589年に葦名氏は伊達政宗に滅ぼされ,この地も伊達領となり一時は政宗自身の拠点となったが,その後の

鶴ヶ城の外観復元された天守.内部は博物館になっている
 
豊臣秀吉による奥州仕置によって没収され,代わって入ったのが蒲生氏郷である.彼の時代にこの地は若松と改称され,さらには壮麗な七層の天守閣が建造された.現在この城郭の異称として知られる鶴ヶ城という名も彼の時代に生まれた.  
 しかし氏郷は文禄4年(1595年)に若くして亡くなってしまい,その子秀行の代になって家臣団の内紛がおこり転封,その後は豊臣政権五大老の一人である上杉景勝の所領するところとなった.この上杉景勝の家臣が2009年大河ドラマ「天地人」の主人公として有名になった直江兼続である.
 慶長5年(1600年)の関が原の戦いで上杉氏は西軍に与したため,戦後減封の上米沢に配置換えとなり,その後再び蒲生秀行が,ついで加藤嘉明が入った.この加藤氏の時代に現在に残る若松城の形が整備された(外観復元された天守のオリジナルもこの時代の建造).その後1643年に3代将軍徳川家光の弟保科正之が23万石で入領し,以後幕末まで続いていくことになる.
 戊辰戦争では会津城下は戦場となり,天守は新政府軍の激しい砲撃にさらされたものの,結局最後まで崩れ落ちることはなかった(明治初期に撮影された天守の写真が残っているが,砲火の凄まじさをよく物語っている).戊辰戦後天守は明治7年に最終的に解体された(現在見られる天守は昭和40年に外観復元さ れたもの).
 現在は会津観光の中心として大勢の観光客が訪れる場所となっている.
 (登城日 2008年6月15日,2010年9月23日) 

干飯櫓

鉄門

武者走りと呼ばれる階段
 

ここは本丸の月見櫓跡


西出丸の石垣(隅櫓跡でしょう)

二ノ丸と本丸の間にかかる廊下橋
 
 
会津若松城へのアクセス: JR会津若松駅からまちなか周遊バスハイカラさんにて20分,鶴ヶ城入口下車徒歩(時刻表).そのほか一般のバスもあります.   

スタンプの設置場所 天守閣博物館出口の売店にあります.

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 普通の都市公園です.


スタンプ
 


 

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