この城を歴史的に有名にしたのが1590年の豊臣秀吉による小田原攻めである.北条氏の本拠である小田原攻略に先立ち,秀吉は当時関東各地にあった北条氏の支城を攻略していった.この忍城も同年6月に攻略に着手,指揮にあたったのが後の五奉行の一人石田三成である.秀吉の意向もあり三成は忍城を水攻めにするもうまくいかず,結局小田原の北条氏が降伏するまで忍城は落ちなかった(この水攻めの際,水の中に本丸が浮かんで見えたことから浮き城の別名がある).江戸時代に入るとここは主に譜代大名の領地となり,特に島原の乱後の17世紀半ばから19世紀前半の文政年間までは阿部氏を藩主とする忍藩の居城とされ整備が進んだ.明治維新後はご多分に漏れず城郭の破却が進み,特に建造物に関しては一部の門を除き現存していない.
続日本100名城最初として,2018年のGWのある日訪問した.自宅から電車に揺られること3時間弱で熊谷駅に到着,ここから秩父鉄道に乗り換え3駅で行田市駅で降りる.埼玉県は東京都と同様に東側に都市が西側に田園や山が広がる構造になっているが,この地域は典型的な田園地帯である(ここから西に行くともう秩父だ).
駅から南西に歩いて15分ほどで城の本丸跡に建つ行田市郷土博物館に到着,ここには忍城に関する資料のほか,当地で盛んだった足袋の生産のに関する展示もあった(入場料200円).この資料館に接続する形で1988年に御三階櫓が鉄筋コンクリート製で建てられている.忍城に三階櫓が存在したことは歴史的事実であるが,それは今櫓が立っているのとは異なる場所であり,時代考証的には問題がある.本丸部分には一部の土塁が存在し,こちらは当時の遺構である(その他土塀も再建されている).
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昭和の香りのする秩父鉄道行田駅 |
江戸時代の藩校の門とされている |
当時の遺構の土塁 |
土塀は復元されたもの |
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もっとも当時の忍城の大部分は現在市街地化されているため,当時を偲べるものは少ない.ただ,資料館から徒歩15分ほど離れた水城公園は当時の外堀の一部を整備して公園としたものである(一方で街中を歩くと「●△門跡」といった案内碑も目にする).
行田市といえば東日本最大の古墳が存在する土地として知られ,さきたま古墳群として整備されているが,その中にある丸墓山古墳が忍城水攻めの際に石田三成が布陣した場所であり,その周辺に今も存在する土手が彼が水攻め用に作らせた堤で,現在石田堤と呼ばれている.
(登城日 2018年5月5日) |
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成田御門跡
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水城公園は当時の外堀の姿を残す |
東日本最大の前方後円墳(二子山古墳) |
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丸墓山古墳(個々の山頂が石田三成の本陣) |
古墳上から本丸が見える
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今は歩道となった石田堤
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