江戸時代,東北地方南部の今の福島県の地域は親藩松平氏による会津藩(23万石)を例外として数万石程度の小藩が多く配置されていた.これは江戸に近いという地理的条件から大藩を置くのが好ましくないと判断されたのと,北に隣接する外様の大藩である伊達氏の仙台藩,上杉氏の米沢藩に対する抑えとして主に譜代大名を配置するためと思われる(譜代大名は基本的に小藩が多い).
そういう意味では北関東諸藩に似ているが,ただ白河の関所よりも外側という安心感(幕府にとっての)もあるのか,外様の小藩もいくつか配置されていている.今回のテーマである三春城は,そうした奥羽にある外様の小藩の居城である.
三春城の築城は永正元年(1504年)に田村義顕によるとされている.この地域は戦国時代を通じて田村氏の支配地域であり三春城はその本拠地だった.ただ田村氏自身はそれほど勢力の大きな豪族ではなく,芦名氏や佐竹氏など周辺の大名の思惑に翻弄されていた.そんな中で天正七年(1579年)当主田村清顕が娘の愛姫を伊達政宗に嫁がせたのは,有力戦国大名伊達家の後ろ盾が欲しかったからであろう.
ただし天正十八年(1590年)の豊臣秀吉による小田原参陣要請に当主の田村宗顕が応じなかったことから田村氏は改易されしまった.同地は蒲生氏郷の所領となり三春城にはその与力である田丸具直が入場したが,文禄年間に田丸は同じ蒲生領内の守山城に移され三春城は廃城となってしまう.
しかし江戸時代初期の慶長年間に地域の拠点として三春城は再建され,蒲生郷成が入った.蒲生氏改易後の元和二年(1616年)には加藤利明,さらに寛永五年(1628年)には松下長綱を経て,正保二年(1645年)に秋田俊季が5万石で入封し,以後幕末まで秋田氏の支配するところとなった.明治維新後廃城となり建物はほぼ取り壊され現在に至っている.
戦国時代,田村氏の頃の三春城は標高407メートルの山頂に城主の居館を含めた本丸がある典型的な山城だったが,その後の織豊時代から江戸時代にかけて近世的な平山城に改修されている. |
三の門跡 |
愛姫生誕地の碑があります |
参道 |
本丸下段 |
御三階櫓跡 |
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