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 日本100名城スタンプラリー


 11.二本松城


 福島県の主要部分は太平洋に面した浜通り,今の東北新幹線沿いにあたる中通り,そして会津地方に区分される.二本松はそのうち中通りの福島と郡山の間に位置する.
 二本松城は室町時代の守護大名畠山氏によって基礎が作られた.戦国時代になると伊達政宗の攻撃を受け,天正14年(1586年)に開城となっている(その間政宗の父親の輝宗を拉致しようとして輝宗もろとも政宗に殺されたのも当家である).豊臣政権下では蒲生氏郷の支配下に入り,その後江戸時代には加藤氏,ついで丹羽氏が入り,この時に大改修が行われ近世城郭の姿に生まれ変わった.従来は標高345mの白旗ヶ峰に位置する山城であったのが,麓にも拡張され平山城となるのに加えて,石垣や天守が築かれたのである.
 江戸時代の大半を通じて丹羽氏の支配下にあったが,幕末期に二本松藩は奥羽越列藩同盟側に付いた.戊辰戦争では藩の主力が白河口の防衛に出ている隙に新政府軍の攻撃を受け,激戦の末落城の憂き目にあっている.この時に守備兵として参加し多くの戦死者を出した二本松少年隊の悲劇は特に有名である.
 この戊辰戦争において城の建物はほとんど破壊されてしまったが,昭和の後期になって箕輪門や本丸の石垣などが再建され,現在は霞ヶ城公園となっている.
 (登城日 2008年5月31日)

二本松少年隊の像

二重櫓(再建)

箕輪門(再建)
 

本丸の石垣

天守台

天守台からの眺め
 
     
     
 
二本松城へのアクセス: JR二本松駅から北に向かって徒歩20分ほどで公園の入り口です.   

スタンプの設置場所 二本松市歴史資料館受付(JR二本松駅から徒歩5分程度)

登城のハード指数(★★☆ ややハードです) 駅から距離があり,公園内も本丸までは結構な上り坂です.

 


 

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