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 続日本100名城スタンプラリー


 107.秋田城


 秋田県の県庁所在地秋田市は江戸時代には佐竹氏が納める土地であった.藩政の中心地になった場所は現在のJR秋田駅からほど近い千秋公園にあった久保田城であり,藩名も佐竹藩もしくは久保田藩と呼ばれていた.
 一方でこの地が秋田と呼ばれるようになった歴史はかなり古く,奈良時代にさかのぼる.律令政権の東北進出が進む中で,今の秋田地方を支配する拠点として,秋田城が築かれたのがその由来と思われる.場所は千秋公園から北西に5kmほど離れた,高清水岡と呼ばれた高台の地である.
 秋田城の創建は天平五年(733年),それまで朝廷支配の最北端だった今の庄内地方にあった出羽柵を移転する形で築かれた.当初は庄内時代と同じ出羽柵のだったようだが,後の天平宝字四年(760年)頃に秋田城と改名されたものらしい.
 秋田城は蝦夷に対する軍事拠点であると同時に,この地の行政機能の中枢であり,一方で当時の大陸で唐から独立した勢力だった渤海(現在の中国東北部)との交易拠点でもあったと考えられている.

復元された東門

東門周囲の築地
 
 城の構造は行政機関である政庁を中心に配置し,政庁を内郭が取り囲むようになっていた.城の全体は外郭(弊)で囲まれ,その大きさは東西南北それぞれ550メートル,正方形の北西部分1/4が欠けたような形をしていたらしい.外郭の東西南には門が設置されており,その遺構も発見されているが,北門があったかどうかは現段階では不明である.
 現在秋田城は東門とその周囲の築地(外郭を構成している弊)と東大路の一部,さらに城外南東の鵜ノ木地区に存在した当時としては画期的な水洗式の厠(トイレ),沼地などが復元されています.
 
 
 (登城日 2018年10月24日)
 

建物跡

古代沼

古代の水洗トイレ(復元)
 
 
 
秋田城へのアクセス: JR秋田駅(秋田駅西口バス停)から秋田中央交通バス将軍野線または寺内経由土崎線にて約20分,護国神社入り口バス停下車すぐ.自動車の場合東門近くの史跡管理棟に専用の駐車場があります.  

スタンプの設置場所 秋田城跡史跡公園管理棟にあります
登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 平坦な場所でだれでも気軽に散策できます.

 


 

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