北から順番に番号が付いている日本100名城の最後,100番目に割り振られているのが沖縄本島の首里城である.確かに地図を見ると99番の中城城よりも南にある(ということは,もしかして沖ノ鳥島付近の海底に竜宮城があったら,そっちが100番になるのか 笑).
首里城は1429年に沖縄本島を統一した琉球王国の本拠となった城である.その成立時期は正確にはわかっていないが,およそ14世紀の末から15世紀の初めごろではないかと言われている.那覇港を見下ろす小高い丘の上に築かれた城で,中心部の内郭とその周囲の外郭という二重の城壁によって構成されていた.内郭には城の要となる御庭(ウナー)を中心に正殿・北殿・南殿といった重要な施設が置かれ,9つの門(瑞泉門・漏刻門・広福門・奉神門・右掖門・左掖門・淑順門・美福門・白銀門)で外部と通じていた.その外側の外郭には歓会門・久慶門・継世門・木曳門の4つの門があった.
首里城の施設は全て東西方向を軸とした線上に置かれ,西側が正面となっている.そのため城郭の西側には綾門大通という大きな道が造られていたが,その東端にあるのが有名な守礼門である.
琉球王国が存続した450年間その王宮および政庁として機能していた首里城だったが,明治維新後の琉球処分によって王国が解体されると,その役割は失われた.その後城跡は軍の施設,あるいは学校として利用されたが,一方で城郭としての首里城は急激に荒廃が進むことになってしまった.そのため昭和に入ってから修復が行われ,正殿は国宝に指定されるに至る.
しかし,太平洋戦争末期の沖縄戦でこの地は戦場となり,首里城は石垣や一部の門を除きことごとく破壊されてしまった.戦後は城跡に琉球大学が置かれ,一時は城跡の形跡すらよくわからない状況に追い込まれている.
とはいえ,1953年(昭和33年)に守礼門が再建されたのを皮切りに,琉球大学が移転した1980年代以降徐々に修復も行われ,1992年(平成4年)にようやく現在の首里城公園として整備されるに至った.
私が訪問した2010年3月には大勢の観光客で賑わっていた首里城の守礼門だが,かつてここは,何もないところに朱色の門だけがポツンと立つその寂しさから,日本三大ガッカリ観光地のひとつに挙げられていたという.ガッカリ時代の首里城,私は残念ながら(?)未訪だったが,昭和40年代のヒーロー番組ロボット刑事の沖縄ロケ編の中にガッカリ時代の首里城が出てきたのを見て大いに感動したのだった(敵のアジトに忍び込むため,日雇い労働者に変装した刑事たちが,迎えのトラックに乗り込むのがこの守礼門前なのだった.今こんなことやったら目立ってしょうがないだろう 笑).
尚,前述の通り首里城の主要施設は全て西向きに立っているので,午前中の写真撮影はことごとく逆光になる恐れがある.なので観光は午後がお勧めである
(登城日 2009年3月28日) |
首里城のシンボル守礼門 |
現存する門である園比屋武御嶽石門 |
外郭の歓会門 |
内郭の瑞泉門 |
内郭の漏刻門 |
首里森御嶽と呼ばれる礼拝所 |
外郭の久慶門 |
|
|