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日本100名城スタンプラリー
10.山形城
山形県の県庁所在地である山形市は戦国時代に最上氏の居城だったところで,江戸時代のはじめには村山・最上・庄内57万石という大藩の城下町となっていた(伊達政宗のライバル
最上義光
の時代).このため城郭も非常に大きく,三の丸だけで250万u以上という,江戸城内郭に匹敵する規模を誇っていた.城は本丸,二の丸,三の丸が同心円状に配置されたいわゆる輪郭式城郭である.本丸には天守は築かれず御殿のみだったらしい.一方で二の丸には御三階櫓が置かれていた.
このような壮麗な城だった山形城であるが,義光の死後に起こった家督争いのために最上氏は改易となってしまい、以後は鳥居氏,堀田氏などの普代・親藩大名の所領として江戸時代の歴史をを歩んでいった.度重なる藩主の交代とともに山形藩自体の所領も大幅に縮小し,幕末の水野忠精(天保の改革で有名な水野忠邦の子)の時代にはわずか5万石の小藩になってしまった.これだけ藩の規模が小さくなると城の維持もままならず,幕末にはかなり荒れ果てた状態になっていたようである.明治の廃藩置県後は他の城郭の例にもれず,山形城も軍の管轄下に置かれ,城跡は歩兵32連隊の駐屯地となった.
二ノ丸の南門
山形城の築城者最上義光
復元された二ノ丸東大手門@
第二次大戦後城跡(本丸と二ノ丸)は山形城址霞城公園として開放され現在に至っているが,近代以前の建物は残っておらず,二の丸東大手門や本丸一文字門の石垣などが復元されている.現在山形市では本丸にあった御殿を再建する計画を立てているようであるが,残されている資料が平面図のみで絵図面や写真などがないため,それらの資料を探しているとのことだった.
(登城日 2008年6月1日)
二ノ丸東大手門A
本丸一文字門の石垣(復元)
大戦末期の沖縄戦で奮戦した歩兵32連隊の碑
山形城へのアクセス: JR山形駅西口から徒歩10分ほどで二ノ丸の南門に着きます
スタンプの設置場所 山形市郷土館(旧済生館本館)受付(霞城公園南門から入って右側)
登城のハード指数(★☆☆
ハードではありません)
JR山形駅から程近く,内部もアップダウンは全くない公園です).
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