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 日本100名城スタンプラリー


 8.仙台城


 2008年6月10日に秋田県能代に出かける途中,東北大学川内キャンパスにある第2食堂(通称貧食)に寄るため仙台で途中下車.ついでだからと日本100名城のひとつである仙台城址に行ってきた.天気は快晴,絶好の城めぐり日和である.
 仙台は奥州伊達62万石の城下町,大名としては加賀の前田家(100万石),薩摩の島津家(72万石)に次ぐ全国三番目の規模を誇る.江戸時代から穀倉地帯として有名で,江戸から比較的近かったこともあり,江戸で流通する米の半分が仙台産といわれた時期もあったようだ.

本丸の伊達政宗騎馬像
 
 城下町仙台の礎を築いたのはもちろん伊達政宗なのだが,彼が仙台に拠点を移したのは意外に新しく,関が原の戦い後の事である.戦国時代の伊達家の居城は当初梁川,米沢のちに岩出山(一時会津若松にいたことも)であったが,関が原後の1601年に仙台城の建設が始まっている.
 仙台城は市内西部にあり,青葉山の山頂に本丸が,その麓に二の丸,三の丸が置かれる平山城の形式です.伊達政宗の時代に造られたのは本丸部分で,当時は御殿や政庁などの建物もここに置かれていた.一方で織田信長の安土城以後主として西国で盛んになった天守閣は築かれなかった.これは当時,政宗の器量を警戒していた徳川家康を刺激しないためとも言われている.
 大坂の陣が終わって幕藩体制が整い太平の世の中になると,政庁が山上に置かれる不便が明らかとなったため,2代藩主忠宗によって麓に二の丸,三の丸が造られ主だった施設も移された.
 幕末期には仙台藩は奥羽越列藩同盟の盟主として旧幕府軍側に立って参戦したが,会津戦争のさなか明治元年9月10日に新政府軍に降伏,仙台市街地が戦場になることはなかった.

再建された脇櫓

本丸の高石垣

本丸から仙台市内を一望する
 
 維新後仙台城は陸軍第2師団の駐屯地となり,江戸時代の建物は順次消失していった.ただ,大手門とその傍にある脇櫓は保存され昭和6年には国宝に指定された.しかし第二次大戦末期の仙台空襲と戦後の混乱によって江戸時代からの建物はすべて失われてしまった.戦後には二の丸には東北大学の川内キャンパスが,三の丸には仙台博物館が整備され城跡の面影は失われてしまった.その一方で,石垣の修理や大手門脇櫓の再建など城郭整備の動きも見られている.
 (訪問日 2008年6月10日) 
 
 
仙台城へのアクセス: JR仙台駅から仙台市営バス(西口バスプール9番青葉通り・工学部経由動物公園循環または,11番愛宕大橋経由動物公園循環)にて30分弱  

スタンプの設置場所 仙台城見聞館の受付にあります(係員に声をかけると出してくれます)

登城のハード指数(★☆☆ ハードではありません) 大手門跡から10分ほど登っていくと本丸に到着しますが,車で直接乗り付けることも可能です.


スタンプ
 


 

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