ビザンチン皇帝の部屋 本文へジャンプ

ホーム

海外旅行記録

国内旅行記録

非日常の世界

日常の世界

幕末・新選組の
小部屋

 ”100”の小部屋

学問の小部屋

掲示板

ビザンチン帝国
とは

アクセスカウンター
 SINCE 2011年9月25日

 金沢大学日帰り計画

 それは昭和61年か62年の夏の日であった.私が部屋でゴロゴロしていると突然N がやってきた.なんでも彼の車の走行距離が50,000kmになったので記念にドライブに行こうというのだ.どこへ行こうかということになったが,どうせ行くなら面白い企画にしようということで24時間以内に金沢まで行き,金沢大学の講義を受けて学食で飯を食って帰ってこようということに決まった.
出発時の様子.左が私.手にしているのは手製の地図である.

 いうまでもなく金沢市は石川県の県庁所在地で,仙台から行くと最短の新潟経由でざっと550km離れている.これを24時間で往復するいうことは平均時速45km,これに講義に参加する時間,飯を食う時間が入る.かなりの強行スケジュールだ.しかしそんなことで諦める我々ではなく,その夜早速決行することにした.
 午前0時,証人のために呼び出した合唱団の後輩Tに見送られて仙台市の八幡町を出発した.はじめは深夜で道路が空いているため快調であった.午前5時前には新潟市を通過,国道8号線(だったか116号線だったか記憶は定かでない)を軽快に走った.しかし,7時頃から朝の渋滞が始まる.たちまちペースダウンして上越市を通過したのは8時近くであった.その後糸魚川から富山との県境,通称親不知を通る.ここは北アルプスが直接日本海に落ち込む所で古くから交通の難所として知られた場所である.国道8号線はここでとても一級国道とは思えないほど幅員が減少し,崖の中をカーブしながら縫うように走る(洞門).当時は北陸自動車道も未開通で他に迂回路もなく,普通乗用車から大型トラック,バスに至るまで全ての車両がこの狭い道路に集中する.当然走行ペースは遅く,県境を越え富山県に入ったのは9時頃であったと思う.
 富山県に入ると蜃気楼で有名な魚津市や滑川市を通り10時頃に富山市に至った.さらに車を走らせ,次第に周囲の車が石川ナンバーに変わっていく中,石川県に突入(この頃石川県は”石56”のナンバーが多く,Nは石ころナンバーと呼んでいた),一気に金沢市に向かった.11時過ぎに金沢市に入り金沢大学に到着したのは11時30分位であったか. 当時金沢大学はお城の中にあって,東大の赤門に対して白門だかがあり,そこを通って中に入ったような気がする.  
金沢からの帰路どこかで撮った写真.バックの地図から石川県内と思われるが不明.誰かここを知っている人は教えてください.
この頃すでに大学移転の準備が行われていたらしく,構内はやや雑然としていた.さすがに古い建物ばかりで,東北大の片平キャンパスを思わせる雰囲気であった.構内を歩き適当な建物に入っていったが,11時40分頃でまだ2講目の授業をやっている時間である.少人数のゼミなんかに入ったらまずいのでなるべく大講義室風の部屋を選んで中に入った.そこでは法律だったか法学だったかの講義が行われていた.どうやら法学部の授業らしい.  
金沢大学構内にて
 百人くらい入る講義室はほぼ満員であった(出席が厳しい授業なのか,人気がある授業なのか,はたまた金沢大学の学生が真面目なのかは不明.いづれにせよ当時の東北大の授業では考えられないくらい講義室は混んでいた).我々は一番後ろの席につき,そのまま授業が終わるまでいた(授業の内容はまったく記憶にない).
 12時に講義が終了し,我々は金沢大生の波についていった.このまま行けば学食に行けるだろうと思っていると案の定,学食に着いた.カフェテリア形式の食堂で品物をとり,組合員証を見せろといわれたらどうしようなどと不安に思いながらレジに向かう.幸い(?)組合員証の提示はなく,無事に食事にありつけた(組合員証を求められた時,東北大の組合員証を見せたら果たしてどうなったのだろう).この時のメニューは味噌汁の具が麩であったことしか覚えていない.
 昼食が終わると既に12時半になっていた.すぐに帰らなくてはならない.普通ならせっかく金沢まで来たのだから少し観光してもいいのでは考えるところだが,当時の我々にそのような発想はない.当初の目的を達成した以上長居は無用である.なんと行っても今日中に仙台に帰らなければならないのだ.かくして仙台に向かってひた走った.
 ところで北陸地方にチェーン展開しているコンビニエンスストアにチックタックというのがある.富山,石川の8号線沿いによく見かけるのだが,ほぼ例外なく酒を販売していることからどうやら酒屋の組合でやっているらしい.その他この辺には8番ラーメンというラーメン屋がある.もちろん国道8号線に掛けてあるのだが,こちらの方は北陸地方以外にも広く展開している.
 帰路は8号線名物の片側交互通行(8号線は一本道で狭い割りに大型車の交通量が多く,道路がすぐ傷むためかやたらに工事が多い.しかも片側一車線しかないためにすぐに片側通行になる.特に夜間は8号線で片側通行に出会わないことは稀である)や夕方のラッシュに邪魔されながらも走り続け,ほぼ夜12時に仙台に帰り着くことができた.その後我々が爆睡モードに入ったことはいうまでもない(もっとも私は帰路かなり寝ていたためそれほどではなかったが). 

 

 トップページに戻る   学生時代トップに戻る