ビザンチン皇帝の部屋 本文へジャンプ

ホーム

海外旅行記録

国内旅行記録

非日常の世界

日常の世界

幕末・新選組の
小部屋

 ”100”の小部屋

学問の小部屋

ビザンチン帝国
とは

アクセスカウンター
 SINCE 2011年9月25日
       

 信州上高地


北アルプス上高地

 上高地は北アルプス南部の山あい標高1500メートルにある平地の名である.本来こんな標高の高い,しかも山脈の真ん中に平野など存在するはずはないのだが,ここは大昔に火山の噴火で川がせき止められて湖になったところに土砂が溜まった結果できた平野なのである.
 明治時代にここを訪れたイギリス人ウォルター・ウェストンの著書によって,一般に存在が知られるようになった


上高地の概略図
 
(山岳信仰の修験者などは江戸時代から立ち入っていた模様).とはいえ,当初は交通も不便なこの地を訪れる人も少なかった.しかし昭和8年(1933年)に旧釜トンネルが開通し,自動車での訪問が可能になったことによって,訪問者は一気に増加した(今に続く上高地帝国ホテルが開業したのもこの年である).
 第二次大戦後レジャーが大衆化され,またマイカーの普及とともに上高地を訪れる観光客は飛躍的に増加した.しかしアクセス道が狭い旧釜トン ネルのみだったことから,慢性的な渋滞と違法駐車の続出という事態を引き起こした.一方でこれらマイカーの排出する排気ガスによる環境汚染も心配されたため,昭和50年から休日を中心にマイカー規制が始まることになった.平成8年からはマイカーは通年規制となり,現在はさらに休日を中心に観光バスも規制されるようになっている(路線バスとタクシーのみ入山可).また狭い上に急勾配と交通の難所であった旧釜トンネルに代わる新釜トンネルが平成17年に完成し,以前よりはるかに通過しやすくなった.
 


久しぶりの上高地訪問

 私が始めて上高地に入ったのは学生時代の昭和61年のことである.この頃は夏休みシーズン以外の平日はマイカーOKだったので友人Nの車で訪問した.大正池から見える穂高の山々に大いに感動したものだった(この時は日帰り).その後も訪問したことはあったのだが,平成22年の秋に自分の母親がぜひ行きたいというので家族旅行で行ってきた.
 臨時に休みを取った10月8日金曜日の朝,新宿からバスで上高地に向かう.天気はまずまず,バスは中央道から長野道,国道158号線を快調に走る.そうこうしているうちにどんどん標高が高くなり急カーブが多くなってきた.マイカーで来た人たちが車を置く沢渡の駐車場地帯を過ぎてしばらくするとトンネルが見えてくる.これが新釜トンネル,それ以前の旧釜トンネルは昭和8年に掘られたもので,幅も3メートルくらいしかないうえに急カーブが連続(トンネル内で),しかも勾配が急峻なため,大型車のすれ違いは不可能だった(あまりに急なので,壁面にはローギアで走行せよとの注意書きが書かれていたほど).そのためトンネル全区間で片側交互通行が行われていて,このトンネルを通過するだけで30分以上かかることもあった(トンネル入り口には青3分赤15分という掲示が出ていた).新釜トンネルは全線2車線で勾配・カーブともかなり緩和されており,大型バスもスムーズに走っていった(距離は伸びたもののセカンドギアで十分な感じ).
 

1987年訪問時

1987年の大正池

駐車場整理券
 
 新釜トンネルを抜けるともうそこは上高地,しばらく走ると大正池が姿を現す.ここは大正年間に火山噴火でできた池なのでこの名前がある.その後赤い屋根が独特の上高地帝国ホテルを過ぎ,終点の上高地バスターミナルに到着した.
 まずは荷物を置こうとホテルに向かう.今回は梓川にかかる上高地で一番賑やかな場所,河童橋前にあるホテル白樺荘だ.上高地のホテルには洋室系(帝国ホテル,五千尺ホテル,清水屋ホテル)と

白樺荘
 
和室系(白樺荘,温泉ホテル,西糸屋旅館)があるのだが,今回は還暦を過ぎた母親が一緒だったこともあり和室系,さらにはターミナルからも近いということで,ここにした次第である.  


明神池の散策

 荷物を置いたらさっそく散策開始である.まずは河童橋を渡って対岸にある五千尺ホテルの喫茶室へ.ここでケーキを食べるのが通である(学生時代に来た時もここでケーキを食べたかったのだが,なにせ当時は金がなかった 笑).チョット休んだ後,梓川左岸に沿って上流に向かう.爽やかな高原の空気を吸いながら約1時間で明神館に到着となる.途中の林にはいろんなキノコが生えていた.明神館近くの明神橋で梓川を渡って,今度は右岸に沿って河童橋に戻る.途中には明神橋の由来にもなっている明神池がある.静かな湖面に映る山や木々が神秘的だった.
 1時間ほどの散策で無事に河童橋に到着,ちょうどホテルのチェックイン時間になっていたためそのまま部屋に入った.お風呂に入って(ここのお風呂は残念ながら温泉ではない)ゆったりしているうちに夕食の時間,ここの夕食は山の懐石料理と呼ばれるコース料理である.松茸や岩魚の塩焼き,信州サーモンのお刺身などに舌鼓を打ったのだった.

五千尺ホテルのケーキ

梓川の上流
 

明神橋

明神池にて

記念撮影
 

明神岳

色付いてきました

夕食の松茸
 


大正池方面の散策

 一夜明けた10月9日は… なんと雨(泣).かつて降水確率を100%から30%に引き下げた実績を持つ晴れ男の自分にはありえないパターンである(泣).仕方ないのでこの日は近くにあるビジターセンターでの上映を見たりしつつ,基本的にホテルでのんびり過ごしたのだった(こうして雨が降ると途端にすることがなくなってしまうのが山岳リゾートである).

雨の河童橋
 
 最終日の10月10日は一転して晴れである(ようやく晴れ男の本領発揮).この日は河童橋から初日とは逆方向,大正池方面に向かっての散策となった.まずは河童橋を渡って左岸を下流に向かうことに.途中で梓川の河原に出てそこの景色を堪能した.しばらく歩くと対岸にホテルが2軒見え,やがて橋が出現する.ここが田代橋である.橋の名前は同名の池に由来するのだが,実は結構離れている(笑).橋を渡らずにそのまま左岸を進むと途中で道が二つに分かれている地点に到達した.実はどっちを行っても田代池に着くのだが,まずは川沿いのルートを進むことにする.このあたりに来ると,団体客が大勢いて賑やかになっている(一昨日の明神池とは大違いだ).橋から20分ほど歩いて田代池に到着となった.ここも初日の明神池同様,湖面に映る景色が神秘的だった(人が多すぎて,そういう意味での神秘さはなかったが 笑).
 
 池を見た後,さらに川沿いを下流に向かう.しばらく行くと大きな池が見えてきた.ここが大正池,大正4年に焼岳の噴火で発生した土石流で梓川 がせき止められてできた池である.その雄大な眺めと土石流でやられてしまった木々が立ち枯れた風景の妙が素晴らしく,上高地を代表する風景となっている.ただこの大正池,年々上流からの土砂で埋まってきているとのことで,たしかに私が始めて訪問した昭和61年時分と比べると,だいぶこじんまりとしてきたなぁと感じたのだった.
 大正池の景色を眺めたあと,来た道を引き返す.そして田代池からは往路通らなかった川沿いでないルートに入った.やっぱりみんな川沿いのルートを行くらしく,こちらのコースは人がおらず貸しきり状態だった(笑).
 田代橋付近で川沿いルートと合流,ここから一気に人の数が増える.今度は橋を渡って川の右岸に沿って戻ることにする.数分歩くと大きなホテルが2軒,ここが上高地内で温泉を持つ二つのホテルだ(上高地温泉ホテルと清水屋ホテル).見たら足湯無料の文字が… ムチャクチャ惹かれたのだが帰りの時間があるので断念した(この辺に前日の雨が悔やまれる).

穂高連峰の眺め

林の中の遊歩道

梓川
 
 ホテルを過ぎてしばらく行くと,ちょっとした休憩所があった.ここがウェストン園地で,上高地を世界に紹介したウェストン氏の碑もある.川沿いの道を歩きながら対岸を見ると大勢の観光客が散策しているのが見えた(上高地は特に日中は個人客だけでなく団体客も多い).そうこうしているうちに見慣れた河童橋が出現,散策は終了となったのだった.  

田代池

大正池にて

ウェストン碑
 

梓川と穂高連峰
 


上高地を後にする

 ここでちょうどお昼時間になったので,白樺荘のレストランに入った.一度試してみたかったビーフカレーに挑戦である.美味でした \(^o^)/(ついでに地ビールにも 笑).
 昼食後荷物を引き取りバスターミナルへ,14時出発のバスで帰路についたのだった(帰りが中央道の渋滞が心配されたがたいした事はなく,予定の20分遅れで無事に到着した).

 (訪問日 1987年9月28日,1997年8月,2010年10月8−10日))

白樺荘のお土産屋さん

昼食のカレーです

上高地バスターミナル
 



 

 トップページに戻る   国内あれこれに戻る