イギリス経験論哲学の最終回はデイビッド・ヒュームです.ヒュームと言う言葉で検索すると,水道管なんかに使われているヒューム管がヒットしますが,もちろん関係はありません.
ベーコンによってその基礎が作られ,ロックによって発展した経験論哲学をさらに推し進めたのがヒュームです.スコットランドの弁護士の家に生まれたヒュームは,大学入学後,親の影響もあってか法学を学びますが,次第に哲学にはまってしまい大学を中退してしまいます.
その後はフランスに渡ったり,職を転々としたりしながら思索にふけり,1739年に代表的な著作である人性論を出版しました.ただ,初版時この本はまったく売れず,ヒューム自身,「印刷所から死産した」と自虐的に語ったほどだったそうです.
ヒュームは人間の知識の限界に挑みました.そして,人間の経験できない観念は真実なのか? それって実在するのか?と考えます.たとえば神の存在,人間は(特殊な人を除いて)神というものを認識する経験がありません.それはむしろ信念とでもいうべきもので,神が存在しないことにしても世の中が変わるわけではありません.
ヒューム自身は「神は存在しない」とは言いませんでしたが,現代ならともかく,18世紀ににあってこれは極めて危険な思想でした.実際ヒュームは無神論者のレッテルを貼られ,それがために大学の教職に就くことができなかったからです.
またヒュームは当時(いや現在もでしょうか)絶対的と思われていた因果律に噛み付きます.因果律とは原因があって結果があるという法則で,たとえば,足を滑らせて転ぶ,の例では,足を滑らせるが原因で転ぶが結果です.
しかしヒュームは我々が原因から結果と考えている現象も,それは我々の経験からこうなればああなるだろうと類推しているにすぎず,それ自身に絶対的な意味はないのだと主張したのです.
こうした姿勢からヒュームは懐疑論者であると考える人もいるようですが,つまりはヒュームの思想は,人間の知識は経験から得られるものであるが一方で人間は全宇宙全てのものを経験できるわけではないので,結局のところ人間の不完全な経験から言えることはあくまでも蓋然性だけであって,それが真実かどうかはわからないということのようです.
こうしてヒュームによってイギリス経験論は行き着くところまで行ってしまい,やがてカントの登場となるわけなのでした.
最後に,私が高校生時代に勉強した倫理社会の参考書に載っていたヒュームのお話を書いてみます(出典が不明なので多分創作だとは思います).
ある日ヒュームが街を歩いていて,川にはまっておぼれてしまった.
そこに近所のおばあさんが通りかかったが,それがヒュームと知ると
「おや,ヒュームさんじゃないか.あんた神様を信じないから罰があたったんだよ,
助けてやんないよ」
で,困ったヒュームは必死になってうろ覚えの聖句を暗証してなんとか助けてもらった
というお話です.無神論者といわれたヒュームらしい逸話ですね.
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