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 仙台市営地下鉄開業

 仙台は今でこそ百万都市となり,かなり都会的になったが感があるが,私が住んでいた頃(昭和59年〜63年)はまだ政令指定都市になる前で,なんとなく田舎町の風情が残っていたような気がする(駅の東口も今はかなり賑やかになっているが,当時は代々木ゼミナールくらいしかなかったし,その気になれば東口から隣の仙石線榴ヶ岡駅が見えそうなくらい視界が開けていた 笑).

 
我々は一番列車に乗り広瀬通駅で下車,近くの吉野家で
牛丼を食べて解散したのであった.真ん中の人物が一番
切符をゲットしたM,その後方のハンチング帽が私である.
 そんな仙台が大きく変化するきっかけになったのが昭和62年7月15日の地下鉄開業である.開業区間は北の八乙女駅から南の富沢駅間であった.当時私は河原町というところに住んでおり(仙台の中心部からやや南,広瀬川の河原にある),ここにも駅ができることになっていた(その名も河原町駅,そのまんまである).実をいうと,開業直前まで我々はこのことにあまり関心がなかった.というのも大学への通学にほとんど関係がなかったからである.
 ことの発端は開業前日,昭和62年7月14日の夕方テレビでローカルニュースを見ていたことから始まった.ニュースでは明日の開業やそれに伴うセレモニーなどを紹介していたが,それと一緒に開業一番列車に乗ろうとする大学生グループが1ヶ月前から始発駅前でテントを張っているということ紹介していた.このグループは”東北大学動く会”というサークルで,私と同じようにどうでもいいことに命を燃やす集団であった.そのニュースを見ているうちに私の心に1つの考えが浮かんだ.せっかく地下鉄の駅の近くに住んでいるのだからここはひとつ動く会に対抗して河原町駅の一番切符を狙ってみよう.かくして私はNや合唱団の後輩を招集して河原町駅の状況を探らせることにした.
その結果河原町駅にはまだ誰もいないということが判り,我々は夜を徹して駅に張り込んだ.明けて7月15日午前5時(だったと思う)駅のシャッターが上がった.この頃には早起きな近所の爺さんやガキんちょ,さらには動く会の人間と思われる大学生風の人間も集まっていた.最前列に陣取っていた我々は開門と同時に全力疾走で切符の自販機に走った.爺さんやガキんちょは相手にならず,動く会とのデットヒートになった.しかし我々は5人,動く会は1人である.我々は巧みなコンビネーションで動く会を振り切りついに,河原町駅開業一番切符を手に入れたのであった.動く会の「これじゃ,帰れないよー」という寂しげな言葉が印象的であった.

 

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