とはいえ,ここで取り上げる哲学は現在そう認識されている思想的な意味での哲学です.古来いろんな人がいろんなことを考えてきたんですが,今回取り上げるのはイギリスの経験論哲学です.
近代に入ってヨーロッパで哲学が発展していきますが,その2大潮流となったのが大陸の合理論とイギリスの経験論です.前者はデカルトに代表され,一方後者の代表がフランシス・ベーコンです.
大陸合理論では真理への探求法として,数学に代表されるように論理的な考察による演繹法を重視しましたが,一方のイギリス経験論は経験の積み重ねから真理を見つけ出す帰納法を重視するのが特徴です.
演繹法の代表例が三段論法で,
「ソクラテスは人間である」→「人間は死ぬ」
→「ゆえに,ソクラテスは死ぬ」
は高校の社会科でも習う有名な命題です.
一方の帰納法は個々の経験から法則を見出そうとする考え方です.先ほどの人間は死ぬという命題でいえば,ソクラテスは死んだ,プラトンも死んだ,アリストテレスも死んだ.歴史上の人間はみんな死んでいる.だから人間はみな死ぬんだろう.という考え方です.
一見すると演繹法の方が科学的に感じますが,実際には帰納法の方が活躍の場はあります.たとえば,未知の法則の発見は個々の現象の観察から帰納法的に法則が予想され(仮説),それが実験等で事実であると推定されて法則となるからです.また医学の診断法は表面にあらわれている症候(症状)から病気の種類を推定するというやり方ですから完璧に帰納法的です.
F.ベーコンはその著「新機関(ノヴム・オルガヌム)」の中で,偏見を排除して正しく観察することが大切であると説いています.彼はこの観察の妨げとなる偏見等のゆがみをイドラ(
idola )と呼びました.このイドラは今使われているアイドルの語源です.
ベーコンによるとイドラには
種族のイドラ 人間が本来的に持つ偏見
洞窟のイドラ 個々人の問題に帰する偏見
市場のイドラ 言葉に由来する偏見
劇場のイドラ その時代の思想や学説や社会の伝統からの偏見
の4つがあるとしています(この辺りは高校の倫理社会の定番なので覚えている方も多いでしょう).
正しく観察してより多くの情報を得ることで真理に近づく,これがベーコンの思想であり 「知は力なり ( Knowledge is power )」 は彼の代表的なフレーズです.
ちなみにイギリスで盛んになったこの経験論と帰納法,19世紀末にロンドンで活躍した(とされる)名探偵シャーロック・ホームズも現場に遺された証拠から犯人を割り出すには帰納法的推理が欠かせないと言っています.どうやらイギリス人は帰納的に考察する習性があるのかもしれません.
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