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 日本三大霊場

 試みに辞書を引いてみると霊場とは、「霊験あらたかな場所」となっている.具体的には神社や寺院などの宗教施設や聖人の生誕地や居住地,墓などである.キリスト教やイスラム教など一神教が盛んな地域と違い,日本は八百万の神と呼ばれるほどたくさんの神様がいることもあって,こうした霊場(聖地)は全国各地に星の数ほどある.こうした中から日本三大霊場として挙げられるのは北から恐山,比叡山,高野山の3か所であり,いずれも仏教関連の山で,平安時代からの古い歴史を持っている.  

その1 恐山 (青森県むつ市)

 恐山は鉞に例えられる下北半島の刃の部分の中央,宇曽利山湖を取り囲む山々の総称である(恐山という独立峰があるわけではない).霊場とされるのは宇曽利山湖の北岸にある恐山菩提寺で,伝承によれば貞観四年(862年)に最澄の弟子の円仁が開山したとされている.室町時代に当地の豪族だった蠣埼氏が主家の南部氏に対して起こした反乱(蠣埼の乱)に巻き込まれて焼失し衰退していたが,大永二年(1522年)に曹洞宗の聚覚和尚が南部氏の支援のを受けて再興したという.このため現在は曹洞宗の寺院になっている.
 恐山菩提寺の本坊はむつ市中心部にある円通寺で,ここは戊辰戦争後会津から移封された松平家(斗南藩)の藩庁が置かれたこともある.
 恐山は三大霊場の中では開山した僧の格でやや見劣りするが,霊場としての雰囲気という意味ではナンバーワンと言っていいだろう.寺院の西側には火山性ガスが湧出するため硫黄臭が漂う.周辺は細かい岩石がごろごろする独特の景観を見せている.それはあたかも地獄のようであり,賽の河原,血の池地獄,無間地獄と呼ばれるポイントがある.一方で宇曽利山湖畔は白砂とエメラルドグリーンの湖の対比が美しく極楽をイメージさせる景色となっている(極楽浜).

恐山菩提寺

積み石と風車はもっとも恐山らしい風景

宇曽利山湖畔の極楽浜
 
 またこの地には温泉も湧いており,寺院の境内には4つの湯小屋が建っており入山料を払った者ならだれでも自由に入浴できる.一方で恐山といえばイタコの口寄せのイメージがあるが,本来菩提寺とイタコには関係はない(イタコは恐山に常駐しているわけではなく,春と秋の大祭の時に集まってくる).

 (訪問日 2007年8月19日,2021年10月23日他多数回)

霊場恐山公式サイト
 

境内の湯小屋

硫黄の温泉です

三途の川と太鼓橋
 


その2 比叡山 (滋賀県大津市)

 比叡山は滋賀県大津市と京都府京都市との県境に位置する山々の総称で標高848メートルの主峰大比叡と838メートルの四明岳という2つの峰がある.叡山,都富士,北嶺などと呼ばれることもある.都に近いこともあって古くから人々の信仰を集める山であったが,何といってもここが三大霊場となる契機は,延暦七年(788年)に最澄(伝教大師)がここに入山し根本薬師堂を建てたことによる.これが後の延暦寺の始まりで,以後たくさんの寺院や塔などが造られ仏教の一大聖地となった.元々天台宗の寺院であるが,密教や禅,念仏などの様々な研究も行われた.後に他宗派の創始者となった法然(浄土宗),親鸞(浄土真宗),道元(曹洞宗),栄西(臨済宗),日蓮(日蓮宗)といった著名な僧たちも,ここ延暦寺で学んでいる(このことから延暦寺は仏教の総合大学と呼ばれる).
 朝廷や貴族たちの強い支持を得ていた延暦寺だが,時代が下るにつれ政治的な動きを見せるようになる.特に室町時代には独自の武力を背景に中央政局にも影響を与えるほどだった.そして戦国時代末期の元亀二年(1571年)織田信長の軍勢に攻められ全山焼失とともに多くの僧侶が殺される悲劇に見舞われた.その後豊臣秀吉によって再興が許されるとともに復興が進み今に至っている(1994年にはユネスコの世界遺産に登録).
 延暦寺というと一つの寺院のように思われるが,実際には東塔・西塔・横川の3つの区域に分かれている.東塔の根本中堂(国宝),大講堂(重文),文殊楼(重文),西塔の釈迦堂(重文),横川の横川中堂など多くの施設がある.

(訪問日 2022年3月6日)

天台宗総本山比叡山延暦寺のサイト

山上から琵琶湖を眺める

東塔大講堂

国宝根本中堂は2022年3月現在修復工事中

東塔文殊楼

東塔大黒堂


西塔にない堂(左 常行堂,右 法華堂)

西塔釈迦堂

 


その3 高野山 (和歌山県高野町)

 日本三大霊場,三つ目は和歌山県にある高野山である.ここも「高野山」という独立した山があるわけではなく,和歌山県北部の標高1000メートル級の山々に囲まれた標高800メートルの盆地一体の名前である.
 開山の歴史は平安時代初期の弘仁七年(816年),唐で真言密教を学んで帰国した空海(弘法大師)が嵯峨天皇から修行の地としてこの地を与えられたことに始まる.当初は小さな草庵がいくつかある程度で,同じく嵯峨天皇から空海に下賜された京都の東寺の末寺扱いされていたが,時代が下るにつれて多くの僧が集まるようになり隆盛していった.時代が下るにつれて寺領も増え僧兵を蓄えるなど,政治的な行動も見られるようになり,戦国時代末期には比叡山同様織田信長に敵視されるようになった.しかし比叡山に比べて都から遠かったことから高野山への攻撃は後回しとなり,結局本能寺の変で信長が横死したため難を逃れた(その後豊臣秀吉の庇護を受けたのは比叡山と同じ).
 高野山といえば金剛峯寺と言われているが,これは「一山境内地」と呼ばれるように高野山地域全体が金剛峯寺の境内という考えからである.現在では盆地全体に100か所以上もの寺院が立ち並ぶ宗教都市となっているが,主要なものとして本坊としての金剛峯寺,西に隣接する壇上伽藍(根本大塔や金堂,西塔,不動堂など),東にある墓所としての奥之院などがある(高野山に対する畏敬の念は強く,戦国大名から現代の企業まで数多くの墓碑や供養塔が立ち並ぶ).この地は2004年にユネスコの世界遺産に登録されている.

(訪問日 2022年3月27日)

高野山真言宗総本山金剛峯寺のサイト

高野山大門

金剛峯寺

壇上伽藍根本大塔

壇上伽藍金堂
 

三鈷の松(唐から空海が投げた三鈷杵がかかったという松)

女人堂(江戸時代まで高野山は女人禁制のため、女性はこの女人堂までしかこられなかった)

奥之院


 
     



 

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