恐山は鉞に例えられる下北半島の刃の部分の中央,宇曽利山湖を取り囲む山々の総称である(恐山という独立峰があるわけではない).霊場とされるのは宇曽利山湖の北岸にある恐山菩提寺で,伝承によれば貞観四年(862年)に最澄の弟子の円仁が開山したとされている.室町時代に当地の豪族だった蠣埼氏が主家の南部氏に対して起こした反乱(蠣埼の乱)に巻き込まれて焼失し衰退していたが,大永二年(1522年)に曹洞宗の聚覚和尚が南部氏の支援のを受けて再興したという.このため現在は曹洞宗の寺院になっている.
恐山菩提寺の本坊はむつ市中心部にある円通寺で,ここは戊辰戦争後会津から移封された松平家(斗南藩)の藩庁が置かれたこともある.
恐山は三大霊場の中では開山した僧の格でやや見劣りするが,霊場としての雰囲気という意味ではナンバーワンと言っていいだろう.寺院の西側には火山性ガスが湧出するため硫黄臭が漂う.周辺は細かい岩石がごろごろする独特の景観を見せている.それはあたかも地獄のようであり,賽の河原,血の池地獄,無間地獄と呼ばれるポイントがある.一方で宇曽利山湖畔は白砂とエメラルドグリーンの湖の対比が美しく極楽をイメージさせる景色となっている(極楽浜). |
恐山菩提寺 |
積み石と風車はもっとも恐山らしい風景 |
宇曽利山湖畔の極楽浜 |
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