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日本三大門
城郭や寺院など大きな施設の入口にはたいてい門がある。城郭などでは正面口を大手門、裏口を搦手門などと呼ばれている。明治維新後城郭の破却が進み櫓や天守が失われた後も、門は他の施設に転用されるなど生き残ったケースも多く、中には重要文化財に指定されているものもある。
ただ近世城郭の門はやはり規模としては小さく歴史も浅い。これに対して奈良や京都の古い寺院の門はより歴史が古く壮麗なものもある。こうした門に注目して日本三大を考えた場合挙げられるのが東大寺南大門、法隆寺南大門、日光東照宮陽明門である(大きさに着目した場合は南禅寺、東福寺、身延山久遠寺の三門とする説もある)。 |
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8世紀に平城京として栄えた奈良は歴史的な寺院がたくさんある。その中でもとくに有名なのが東大寺でその本尊である大仏は「奈良の大仏」として知らない人はいないだろう。その東大寺の入口にあたるのが南大門である。
8世紀の奈良時代に創建された東大寺だが、平安末期の源平争乱と戦国時代に戦に巻き込まれて大きな被害を受けた。大仏も大きな被害を受け今に残るのは江戸時代に再建されたものである。こうした歴史のある東大寺にあって南大門は鎌倉時代に造られたものが800年以上の歴史を経て今に残っている門である。内部に設置されている金剛力士像(いずれも国宝)とともに多くの観光客に親しまれている。
(訪問日 2017年12月3日) |
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金剛力士像(阿形) |
金剛力士像(吽形) |
奈良の大仏 |
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日本に仏教が伝来したのは飛鳥時代であるが,その振興に大きな役割を果たしたのが厩戸皇子,いわゆる聖徳太子である。推古天皇十二年(604年)に彼が制定した十七条憲法の第2条には「仏教の三宝を敬う」ことが推奨されている。
その聖徳太子が建立したとされているのが奈良県斑鳩町にある法隆寺である。創建は7世紀初頭とされる.そのもっとも古い部分が西院伽藍と呼ばれるところで有名な五重塔や金堂は聖徳太子時代のものではないが,遅くとも7世紀末には完成していたと考えられている(聖徳太子時代のオリジナルは天智天皇九年(670年)の火災で焼失している).
そんな法隆寺の西院伽藍の入口となっているのが南大門である。これは飛鳥時代のものではなく15世紀の室町時代に焼失した後に再建されたものである。とはいえ瓦屋根の曲線美や左右に広がる大垣など三大門にふさわしい優雅さに満ちている。
(訪問日 2017年12月4日)
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