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 日本三奇橋

 以前日本三名橋の話題を出した.人間の生活のおいて水は欠かせず,そのため河川の近くに市街地が形成されることが多い(川の周辺はまた平地など人間の生活に適した地形を作り出す).一方で河川は人間の行動を大きく制限する存在ともなる.これを解決するために造られたのが”橋”であり,日本各地には古くから多くの橋が造られている.こうした橋のうち社会に与えた影響や景観の美しさから選ばれたのが三名橋だった.一方で,主として江戸時代以前に造られた橋の中で,構造的に独創性が高い3つのものを三奇橋と呼んでいる.一般には甲斐の猿橋,越中の愛本橋,周防岩国の錦帯橋の三つを指したが,このうち越中の愛本橋は明治期の架け替えで普通の橋になってしまったため,代わりに祖谷のかずら橋や日光の神橋を入れる説もある.今回は祖谷のかずら橋のバージョンで紹介する.  

その1 猿橋 (山梨県大月市)

 江戸時代に五街道の一つとして整備された甲州街道,江戸と幕府直轄地だった甲府(一時親藩による甲府藩時代もあり)とを結ぶ重要路線である.江戸の内藤新宿を1番目として甲府までに38の宿場があるが,全行程の半ば過ぎ23番目に位置するのが猿橋宿,その名の通り猿橋にほど近い宿場である.
 猿橋は相模川の上流桂川に架かる橋であるが,当地は川の両岸が深さ30メートルの崖になっているものの,幅も30メートルほどと狭いため橋脚を設置しない様式の橋を造るには有利な地形だった.こういう地形の場合良く採用されるのは吊橋であるが,この猿橋では刎ね木を用いた刎橋の形式を採用しているのが特徴である.
 刎橋とは岸の岩盤に穴をあけ,そこに刎ね木と呼ばれる材木を差し込み,それを支えとして架橋する工法である.強度を保つため刎ね木は1本ではなく複数設置されるのが一般的であり,この猿橋では4層の刎ね木が使われている他、木の腐食を防ぐために刎ね木に屋根が付けられている.
 猿橋の歴史は古く,伝承によると飛鳥時代に当地に滞在していたイラン系の渡来人が大勢の猿が繋がって川を渡ってた様子からここの架橋を思いついたとされている.記録の上で登場するのは室町時代から,今のような形状が記録されているのは18世紀以降だという.
 
 (訪問日 2022年5月31日)

甲斐の猿橋

こうしてみると普通の橋です

屋根付きの刎ね木が出ています
 

眼下は桂川渓谷

三猿の塔

猿橋の由来
 



その2 錦帯橋 (山口県岩国市)

 山口県の瀬戸内海側に位置する岩国は,関ヶ原の戦い後に毛利家の家来筋だった吉川広家に整備された城下町である.当時は未だ戦国の遺風が残っていた時代であり,城郭は横山の山頂に築かれた山城であった.一方で城下町は城の麓に領主の居宅である御土居や上級武士の家が置かれ,商家や下級武士の家は錦川を挟んだ対岸に建てらる構造になっていた.これは万一戦になった場合,錦川を天然の堀として防御に役立てる考えであった.
 しかし太平の世になると,200メートルもの川幅を持つ錦川によって分断された城下町は不便この上なく,両地域を行き来できる橋の建設が強く望まれた.こうして1630年代から架橋が行われたものの,当時の橋は脆弱で川の増水によってたちまち流出してしまうありさまだった.岩国領3代目の領主吉川広嘉は錦川に数か所の強力な土台を築き,それらを複数のアーチ橋で繋げる研究を命じた(これは中国・杭州の西湖の小島に架かるアーチ橋の絵にヒントを得たといわれている).こうして延宝元年(1673年)に完成したのが初代の錦帯橋である.この橋は翌年には洪水で流出してしまったものの,土台の補強など改良が加えられて再建,以後昭和25年(1950年)の台風による流出まで270年あまり存続し続けた.
 現在この地にある錦帯橋は昭和28年(1953年)に再建されたもので,以後も修復を加えながらその雄姿を見せている.

 (訪問日 2006年10月7日,2008年10月5日,2017年5月4日)

五連のアーチ橋

横山山頂から見た錦川と錦帯橋

当然アップダウンがある
 

記念撮影

底面はこうなっている

屋形船も見える
 



その3 かずら橋 (徳島県三好市)

 日本三奇橋の3つ目は富山県の黒部川に架かる愛本橋で猿橋同様の刎橋だったが,明治期にトラス橋に架け替えられたため奇橋ではなくなった.代わって入ったのが四国祖谷渓にあるかずら橋である.
 渓谷など河岸が高い,あるいは急流で橋脚を設置できない場所に架橋する方法として猿橋のような刎橋タイプにするか,吊橋タイプにするかがある.かずら橋は吊橋である.
 かずら橋は四国山地の山の中,平家の落人伝説の残る祖谷地区の祖谷川に架かっている.この地域に自生するシラクチカズラを編み連ねて作られた吊り橋で,長さ45メートル,幅2メートルになる.安全のために現在ではワイヤーも組み込まれているほか,3年ごとに架け替えられている.
 橋の歴史は古く,弘法大師が川を渡れずに困っていた住民のために架けたとか,あるいはここに住み着いた平家の落人が,万一追手が来た場合すぐに切り落とせるようにこのような橋を作ったなどの説ある.
 三奇橋の中では一番辺境地区に位置するが,山深いとはいえ交通の便は良くバスが利用できるほか,駐車場も完備している.また橋の通行は有料で一方通行になっている.吊橋なので少しでも人が歩くと揺れ,橋床はさな木と呼ばれる細い木を渡しただけなので,足元を見ると遥か下方に祖谷川が見えて,スリル満点である.また近くには平家の落人たちが琵琶を奏でつつお互いを慰めあったとされる琵琶の滝がある.

 (訪問日 1997年3月,2022年2月12日)

祖谷川とかずら橋

管理事務所(ここで通行料を払う)

ゆっくり渡る
 

足元には祖谷川の流れが

吊橋です

落人伝説の残る琵琶の滝
 



 

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