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 日本三大がっかり観光地

 日本各地に有名な観光地があり,訪れる観光客を魅了している.しかしながらその一方で,知名度は抜群でおおいに期待して行ってみたものの,意外にしょぼくてその落差にがっかりしてしまうことがある.こうした残念な観光地をがっかり観光地と呼んでおり,特に日本3大がっかり観光地といった場合には,札幌の時計台,高知のはりまや橋,那覇の守礼門の3つを指すとされていた.しかし,初めの2つはともかく最後の守礼門は1990年以降首里城の復元が進み,がっかり度が著しく低下している.しかしここでは,あえて昔の分類に従ってこの3つを紹介する.  

その1 時計台 (北海道札幌市)

 札幌の時計台は1878年(明治11年)に札幌農学校の演武場として建造され,以後一貫して札幌を象徴する建造物と認識されている.白い三角屋根の上に大きな時計が乗ったその異国風のたたずまいは,本州以南とは異なる北海道的な風景をイメージさせるものとして,各種ガイドブックなどでおなじみである(昭和60年前後に国鉄監修で行われていた鉄道駅のスタンプでも札幌駅のデザインはこの時計台だった).

札幌の象徴,時計台
 
  しかしながら,ガイドブックの写真ではこの時計台のみがアップで載っているため,さもこれが街のランドマーク的な建物なんだろうと誤解されることになっている.確かに札幌の中心部にあることは間違いないのだが,実際には周囲には高層ビルが立ち並び,この時計台はビルの谷間に寂しくひっそりとたたずんでいて,訪れる者をがっかりさせているのだった.
 (訪問日 2007年9月16日)

 札幌時計台のページ
 

ビルの狭間の時計台

うっかりしていると見過ごすことも(黄色い枠内です)

隣りの市庁舎から見下ろす
 



その2 はりまや橋 (高知県高知市)

 高知を代表する民謡であるよさこい節にもうたわれているはりまや橋,江戸時代に地元の豪商播磨屋が堀川にかけた橋がその始まりといわれている.以来何度か架け直しが行われ、高知の中心地と認識されていた(江戸でいえば日本橋).
 ここが全国的に知られるようになったのは1959年(昭和34年)に映画「南国土佐を後にして」で取り上げられたのがきっかけと言われている.

はりまや橋と私(2006年頃)
 
 高知の中心にかかる赤い欄干の橋,というイメージから,さぞ立派な橋なんだろうと期待してやってくる観光客も多いのだが,現実のはりまや橋はというと,下を流れる川はすでに昭和30年代には水質汚濁のために埋め立てられてしまい,川はないのに欄干だけがひっそり存在するという非常にがっかりな光景が広がっているのだった.
 とはいえ,近年では多少は観光客にアピールするために小さな公園が整備され,人口の水路も作られるなどかつてに比べると改善が見られるようである.
 (訪問日 2006年9月19日)
 
 はりまや橋のページ
 

ビルのはざまに赤い観光用欄干が寂しく佇んでいます

現在のはりまや橋,川はなく欄干だけです

小公園地下にはかつての欄干が展示されています
 



その3 守礼門 (沖縄県那覇市)

 守礼門は沖縄の琉球王国時代の都,首里城を東西に貫く大通りである綾門大道の東に位置する門である(内地の城郭でいえば大手門にあたる).
 戦前には国宝に指定されていたが,沖縄本島は太平洋戦争末期の沖縄戦で戦場となってしまい,守礼門をはじめとする首里城の史跡はそのほとんどが破壊されてしまった.
 戦後は跡地に琉球大学が建てられるなど,かつて城があった形跡すら失われる状態にあった.

首里城の入口,守礼門
 
 そんな中1958年(昭和33年)に守礼門は復元された.しかし,その他の史跡の復元がなされなかったため,何もないところに門だけがぽつんと立ち,しかも長年の風雨で門の塗装もどんどん剥げ落ちてしまった.かくして1980年ごろには寂れた門のみというがっかり観光地になってしまった.
 しかしながら,1980年末から首里城の本格的な復元が進んだ結果,21世紀の現在では首里城公園の史跡の一つとして大勢の観光客が訪れる普通の観光地になってしまい,がっかり度は著しく低下している.
 (訪問日 2010年3月28日)

 首里城のページ
 

現在の守礼門,大勢の観光客が歩いています.

ロボット刑事に登場したころの守礼門(1973年)

お友達提供の貴重ながっかり時代の守礼門
 



 

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