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 SINCE 2011年9月25日
       

第16回ひの新選組まつり参戦!


1.京都での用事

 毎年春の恒例イベントになっているひの新選組まつりも2013年で第16回目を数える.2006年の第9回以来ほぼ毎年参加している新選組愛好家としてはもちろん参加する気満々なのであったが,2012年秋に気になる状況になってきた.
 新選組以外にも色々と趣味のある私であるが,その一つが合唱である.現在いくつかの合唱団に所属し

京都の法然院
 
ているのだが,そのひとつである小田原医師会合唱団が縁あって京都の法然院でコンサートを開催することが決定した.で,その日程がなんと!2013年5月11日(土),新緑の京都,いいねぇ〜 などといっている場合ではない,5月の第2土曜日ひの新選組まつりが開催されるであろう日だ.
 まあパレードは翌日の12日であろうが,他のイベントの大半に参加できないのは確実というわけで非常に残念である.ここ数年4月末に隊士コンテストがあり,パレード前日にコンテスト通過者のパフォーマンスなんかもあるので,コンテストも自動的に不参加が決定的である(まあ,合格しない自信があれば参加してもいいんだけど,不合格を前提に出るというのもモチベーションが維持できないしなぁ).
 


2.隊士コンテストの日程

 さて例年2月に入るとお祭りの開催要項の発表や参加者募集が始まる.近年は5月第2日曜日にパレードという日程がパターンになっているため,今年は5月11日~12日の土日を中心に開催されることは確実視されていた.そんなことを考えていた2月6日にツイッター上で新選組のふるさと日野さんが,今年のひの新選組まつりは5月11日(土)~12日(日)の日程であること,近年GW前半の4月29日に行われていた隊士コンテストがパレード前日の土曜日に戻る旨をツイートしていた(その他,パレードコースについても).

第15回のワンショット
 
 パレード当日の幹部隊士を決める隊長コンテスト(2012年からこの名前になったらしい,それ以前は隊士コンテスト)は例年このお祭りの華なのだが,その日程については近年あちこちで議論になっていた.パレード前日を望む意見としては「コンテストの熱気のままパレードに突入できる」,「遠隔地から参加す場合,事前のコンテストでは2度の日野入りはきつい」というものがあった.一方で事前にコンテストを行うパターンについては「コンテストから日にちがあることで役作りができる」,「実行委員会側の立場にすれば準備に余裕ができる」といったメリットがあげられていた.
 そういった議論の中で今年のコンテスト日程が決まったということなのであろう.ただ,前述ように今年の5月11日は合唱団のコンサートのために京都に行かなければならない(偶然にも新選組が活躍した土地!)ため,これで隊士コンテスト不参加が完全に決定したのだった(4月29日パターンだと,とりあえず落選前提での参加は可能だったし,少なくとも応援には行けた).ちょっぴり残念なのでした.
 ただ,このコンテスト日程の話題,ツイッター上で出ているだけで,肝心の日野市観光協会のHPではこの段階ではまったく触れられていなかった.思えば,恋人コンテストや昨年の歴装隊の件など,ひのパレの要綱は二転三転することも多いため,まだしばらくは注目していく必要があるなと思ったのだった.
 ※ その後2月15日付で正式に観光協会のHPで発表された.
 


3.募集要項の変更

 さて,正式に募集が開始されると今度は自分の参加形態である.このお祭りは新選組の顕彰が目的の一つであり,隊士での参加が王道であることはいうまでもない.自分も初参加以来隊士として参加してきた.ただ昨年の第15回はたまには趣向を変えようということで同時代の人々枠で参加した.今年も当初は隊士で参加しようかと考えたのであるが,ここで問題が発生した.衣装である.
 隊士参加の場合もちろん衣装持込み参加なのだが,そうすると前日の京都イベントにも衣装を持って行かなければならないことになる.コンサートにも衣装が必要であり,その場合2種類の衣装を持ち歩くことになりこれは大変だ!ということで今年も同時代の人々枠で申し込むことにした.さらに少しでも抽選で外れる率を下げるために希望の役は無しで応募した(それでも落選したら衣装を引きずるしかないが 笑).
 その後3月15日をもって応募の締め切りがなされたのだが,その際に何気に観光協会のHPを見たら,隊長コンテストで選出される役の追加と「同時代の人々」枠の大幅な変更が出ていた.それによると,例年なら同時代の人々枠に入っている総長山南敬助と参謀伊東甲子太郎がコンテスト枠になることと(小姓役の市村鉄之助も),同時代の人々枠に今年の大河ドラマ「八重の桜」関連の人々が多数配置されることになった模様である(甲子園大会の21世紀枠や希望枠みたいなものか).そしてそのあおりを受けて,例年この同時代枠の常連だった倒幕派の桂小五郎,中岡慎太郎,岡田以蔵,幕医の松本良順などが消えることになってしまった.
 コンテスト枠の増加は今年が新選組結成150年のためということである.合格枠の増加は参加者にとっては嬉しいお話だが,隊長役をいただく最大の醍醐味は隊を指揮することである.今回の場合は自分の隊を持たない総長,参謀もコンテスト枠ということで,これらの役に合格した人たちを当日どう配置するのか気になるのだった(過去のパレードでも山南,伊東の立ち位置はかなり微妙だったので).当日の楽しみが一つ増えた皇帝であった (^o^).
 そして,同時代の人々枠の大幅変更である.発表が3月13日ということで締め切り直前の変更のようだった.すでに大半の人が申し込みを済ませていたと思われる時期の変更だから,今回消滅した役柄を希望して申し込んでいた人もいるはずだからちょっと複雑な気分である.とはいえ,今年の大河ドラマは新選組とゆか りの深い会津藩がメインである.お祭りと大河を盛り上げるためにも大河関係の配役をたくさん出したいという実行委員会の意向だろうことは容易に察しが付く.であるから,ぜひともその方向で自分たちも盛り上げていきたいなと思ったのだった.
   


4.いよいよ参加決定

 そして3月も下旬のある日,日野市観光協会からはがきが届いた.パレード参加決定通知である.昨年は幕府の医師松本良順役で,沖田総司に点滴!なんて遊んでいたのだが,今年は事前に特に希望役はなしということで申し込んでいた(単にそうした方が,選に漏れる確率が低いだろうと思ったので).そんな願いが通じたのか,とりあえず同時代の人々枠に合格,実行委員会側から私に与えられた役はというと

 井上松五郎さん!

 
 新選組ファンの間では知られているが,井上松五郎は新選組六番組長井上源三郎の実兄にあたる人物である.源三郎とともに天然理心流に入門,弟が新選組に加わったのに対して松五郎は井上家の当主として千人同心の立場で将軍徳川家茂の上洛に 従っている.在京中に新選組(当時は浪士組)の

参加決定通知
 
屯所を訪れ,近藤勇,土方歳三ら同郷の面々と交流したことを日記に書いているほか,彼の子である井上泰助は後に新選組に入隊している.それが今年の私の役なのであった.   


5.京都から日野へ

 そうこうしているうちにGWが過ぎいよいよ5月10日になった.この日は翌日の法然院での合唱イベントに備えて京都に前入りする予定である.夕方で仕事を切り上げて新幹線で京都に入った.翌日は昼過ぎから会場となる法然院に入ってリハーサル,夕方から本番となった.コンサート自体は大きな事故もなく無事に終了,その後はほかの方々と祇園にあるクラブ・ラポーにて打ち上げ,大人のお酒と音楽を堪能させていただいた.
 打ち上げ終了後,私以外は全員京都に宿泊,私のみ京都駅の八条口に向かう.お酒でいい気持ちになっていたのと,時間がなかったのとで着替えもせず,スーツに蝶ネクタイ(赤系のちょっと派手なヤツ 爆)のまま夜行バスに乗り込んだ.
 ちなみに同じ日に日野で行われていたコンテストの様子はツイッター等でかなり盛り上がっていたらしいことしかわからなかった(それでも数年前に比べると便利な時代になったなぁ).

法然院の山門

建物の様子
 
 バスは約6時間の行程で朝の6時半すぎにJR町田駅に到着,そこから電車で高幡不動に向かう(もちろん前日の恰好のまま).不動尊の受付に到着して名前と役柄を言ったのだが,スーツに蝶ネクタイで来た人は過去にいなかったらしく,係りの方がちょっと焦っていた(爆).  

打ち上げのクラブ・ラポー

いい気持ちです(笑)
 
 


5.高幡不動尊にて

 受付を済ませて着替えをする3階の大広間へ,既にたくさんの人が来ている.私の役柄,井上松五郎さんの衣装は一番奥の方にあった.夜行バス直行なので朝から何も食べていない,まずは腹ごしらえと,途中で買ったコンビニおにぎりを頬張る(お風呂は前日の夕方に京都タワー地下の大浴場で入ってきた).その後係りの人にお願いして着付けをしていただいた.
 今回の私の役は,新選組六番組長井上源三郎の兄にして,八王子千人同心である井上松五郎さん.文久三年の将軍家茂の上洛の際に警護として同行し,先に京都に入っていた壬生の新選組屯所を訪問,近藤勇や土方歳三らとも会っている.この時に彼が記した日記は当時の京都や壬生浪士組を知ることのできる一級の資料となっている(井上源三郎資料館収蔵).
 思えば,私が初めてこのお祭りに参加した際にいただいた役が井上源三郎さんである.あれから7年,今度は兄の松五郎さんとしてパレードに参加 させていただけるのはやっぱり縁だなぁと思った(松五郎さんと源三郎さんは6歳違いなので,ちょうど今の私と初参加時の私の実年齢差である).
 などと感慨にふけっていたら,隣には今年の源さん役の方がいるじゃないですか! みたら誠実そうで,まさに源さんという感じの男性だった.さっそく記念写真をお願いしたのはいうまでもない(爆).
 そうこうしているうちに,周囲でも続々と着替えが進行していた.今年のミスターは女性で,な,なんと,去年私と点滴ネタで遊んでいただいた沖田総司でした(笑).さらに局長近藤勇は私のブログによく来ていただいているKAGAYAKI快男児!!さん,また二番組長永倉新八役は去年も同じ役だったおねえさまが,三番組長斉藤一には毎年お世話になっている日野新のK副長が,十番組長原田左之助には3年前のミスターで今は宇都宮で活躍されているK君,そして極め付けの八番組長藤堂平助にはある分野で私の宿敵である(超爆)へこみ隊長さんが選ばれていたのだった(いやぁ~ もうみんなすごい!感激です).まだ朝8時だというのにテンションが上がりっぱなしのビザンチン皇帝でした.

井上松五郎さんの衣装


源さんのお兄さんです


井上兄弟のツーショット


三々五々隊士が集まってきます
 
 そうこうしているうちに,境内には隊士たちが三々五々集まって来た.改めて見ても,これだけのダンダラが並ぶ光景は壮観である.幕末の京都でも,こんな集団が大挙して闊歩していたら,不逞浪士は隠れてしまったことは間違いないだろう.
 そんなわけで,そろそろ自分も外に出てみることにした.昨日は京都もこちらも雨模様だったのだが,この日は打って変わって青空の良いお天気,実は数日前の予報では日曜日は雨だったのだが,「晴れ男のビザンチン皇帝が参加するイベントに雨が降るはずはない!!」と心の中で叫んでいたのが天に届いたようだった. 
 


6.出陣式と法楽

 周囲を見渡すと,さっそく見知った人が目に入った.ひのパレの超有名人神楽教授である.私が初参加の7年前にも龍馬をやっていた神楽教授,衣装はほぼ自前だそうで,「参加費はお祭りへの寄進です」と語っていたその背後には後光がさしていた(笑).教授が坂本龍馬ということは… 私の属する新選組と出会った人々枠じゃないですか.実は過去6回,教授とは一度も同じ隊になったことがないので, 新鮮な喜びであった.
 そうこうしているうちに,境内奥の大日堂前では新選組本隊による出陣式が始まる.新選組各隊はここに集結するわけ

ひのパレ常連の神楽教授と
 
だが,参加しない出会った隊(笑)はその間まったりとして過ごす.しばらくして式が終わったらしく,隊士たちが続々と降りてきて今度は土方歳三の像の前に集合していた.ここでは法楽が行われる,この段階で我々出会った隊も隊列の端っこにつらなった.そしてミスター土方の勝鬨を合図にいよいよパレードの開始である.   

周辺の人達との写真

大河ドラマの人達

法楽に集結
 


7.高幡パフォーマンス

 銅像前での法楽後パレードの開始となる.ここ数年お祭りでは,参加者全員に軍中法度なるパンフレットが配られている(朝の受付時に).これにはパレードの隊列や行進ルートなどが印刷されているのだが,昨年までだと午前中の高幡地区パレード,午後の日野地区パレードの2本立てであった.
 しか~し,今年の記載をよく見ると「日野パレード」,「高幡パフォーマンス」 になっていた.「ん? なんだ? パフォーマンス? 高幡地区はパレードじゃないのか」と少し考えてしまったのだが,思えばここ数年高幡地区の行進はパレードと呼ぶのが苦しいんじゃないかと感じるほど距離と時間が短いので,パフォーマンスに特化したのかと考えた.

軍中法度
 
 さて,パレードならぬパフォーマンスの開始だが,行進は垂れ幕や高張提灯を先頭に,ミスター土方や近藤局長,その後1番隊から建制順に進み,私の属する新選組と出会った人々(以下出会った隊と略します)は最後から3番目となる.出発まではまだまだ時間があるということで,銅像前でしばらく待機となった.この出会った隊の構成メンバーは毎年微妙に異なるのだが,今年は多摩時代の土方歳三,お琴,井上松五郎,勝海舟,佐藤のぶ,吉田松陰,桂小五郎,坂本龍馬,西郷隆盛,山本八重, 山本覚馬,川崎尚之助,新島八重,新島襄という面々だった.後半の人たちはもちろん今年の大河ドラマを意識しているのはいうまでもないだろう(募集末期に桂小五郎は消えていたはずだが,いつの間にか復活してたらしい 笑).
 で,このメンバー,桂小五郎や坂本龍馬,西郷隆盛はいいとして,多摩の土方歳三は出会ったどころか本人そのものじゃないのかとか,吉田松陰は新選組結成のずっと前に死んでいるから絶対に出会ってないだろうとかいう意見があるが,そんな野暮な突っ込みはしないのがお約束である(笑).ちなみに今年の多摩の土方役をされていたのは,昨年のミスター土方だった岡山のHさんであった(今日朝一で土方歳三資料館に行き,矢竹の前で写真を撮られてきた模様.さすが気合が入っている).
 しばらくしてようやく出会った隊の出発となった.高幡不動尊前の横断歩道を渡って右に進む.そのまま路地裏を歩いて駅前へ,そこから参道を進んでいき,あっという間に不動尊に戻ってきたのだった(こりゃ確かにパレードと呼ぶのは厳しいか).
 


8.長~い昼休み

 こうして午前の高幡パフォーマンスはあっさり終了,この後は恒例の早くて長~い昼休みである.境内のあちこちに新選組各隊およびゆかり隊が陣取ってお弁当をいただく時間だ.我々出会った隊は奥の大日堂前に集まった.ふと見ると近くに二番隊の旗が出ている.ここの隊長永倉新八役をやっているのは,昨年も同役で活躍されていたおねえさまである.去年はカーネーションを使って隊の結束強化を図っていたのだが,今年もなにか趣向があるんですか?と聞いたら,なんと石田散薬を使ったパフォーマンスとか,さすがだと感動した.
 さらに周辺を見渡すと,今度は六番隊の旗が… さっそく,さっきの源さんのところに走っていき,ちゃっかり集合写真に入れてもらった皇帝だった(「弟も偉くなったなぁ」などと偉そうにしてしまいました.すみません (^。^)).
 お弁当を食べた後時間があったので,しばらく境内を散策することにした.あちこちで記念写真を撮っている人たちがいたのだが,ちょうど寺務所付近を通りかかったところ,なにやら選挙のタスキのようなものを付けた隊士がいた.よく見るとそこには土方歳三の文字が!! なんと!今年のミスター土方じゃないですか!
 例年ミスター土方は大忙しで,しかも大人気のため常に大勢の隊士や観光客に取り囲まれている.こうしてほぼフリーの状態で捕まえるなんて奇跡に近いのだが,これも自分の普段の心掛けがいいからだろうと勝手に解釈

二番隊の集合写真

六番隊に混ぜてもらいました(笑)

七番隊の集合写真
 
して,お声を掛けさせていただいた.実は今年のミスターは去年沖田総司をされていた方で,去年のパレードの最後に私の趣味で「松本良順が沖田総司に点滴を刺す」,というネタ写にお付き合いさせてしまったのだが,なんと私のことを覚えていて下さった(感激).
 この時そばに参謀の伊東甲子太郎もいたのだが,彼の手には日の丸の金扇が.実はこれ,大河ドラマで五番組長の武田観柳斎が持っていたものである.大河の放送からすでに9年,徐々に記憶も薄れてきているなと感じたのだった.
 そんなことを考えているうちに,午後の日野パレードに出発する時間となったのだった.
 

ミスター土方と伊東参謀

記念撮影 (^。^)

歳三とお琴さんです
 


9.佐藤彦五郎の謎

 長~い昼休みが終わり,午後の会場である日野地区への移動となる.基本的には建制順にバスに乗ることになるため,必然的に我々出会った隊は最後の方,しばらく境内で待機だ(3年前に一番隊だった時はどこに移動するにも一番で,逆に着いた先で時間をつぶす必要があったのだが).
 しばらくして本隊の最後の方が出立したため,ちょっと様子見とばかりに境内の外の方に出てみた.

バス待ち待機の十番隊
 
バス待ちの隊士たちを横目に前の方に出てみる と,おやおや,勝海舟がお琴,のぶさんと一緒にいるじゃないですか.暑いので日陰に入って待っているとのこと.いや,それは正解だ(それにしてもさすが勝先生,女に手が早い \(^o^)/).その後ゆっくりと出会った隊も沿道に進んでいったのだが,バスがなかなかやってこない.このまま炎天下で待っているのはちょっときついものがあり,そそくさと日蔭の軒先に逃げたのだった.待っている間に例の軍中法度の隊列表を見ながら,「副長が乗馬で局長が徒歩っていうのが,ひのパレのツボだね」,「でも今年は局長にも馬が用意されているようですよ」などと話をしていたのだが,隊列表の日野パレードではなんと
 佐藤彦五郎が局長よりも前(ミスター土方の後ろ)でしかも騎乗ではないか!!
 ついに夢の佐藤彦五郎コンテストか! と思ってたのだが,後から聞いたら今年は日野市長が佐藤彦五郎に扮していたようだった(出会った隊に佐藤ノブや井上松五郎がいるのに,どうして佐藤彦五郎がいないんだろうと思ってたのだが,そういう事情だったようだ).
 


10.日野地区パレード

 そんな話をしているうちにバスに乗ることができ,いよいよ日野パレードに出発である.昨年までだと,まずは第一小学校に集合し,そこで気勢を上げてからパレード開始の流れだったのだが,今年はダイレクトに甲州街道(例年は片側のみ規制だが,今年は自動車全面通行止め=ホコ天になっている)に入る流れに なっていた.
 そのままパレードが開始になったようで,一同行進していく.今年は甲州街道一杯をパレードに使えるせいか,例年以上に広々と感じる.沿道の人出も例年より多いようで,自動車の音が聞こえないのと相まって,観客との一体感がより感じられた.前方の本隊がどんな感じになっているのか,まったくわからなかったが,出会った隊では多摩の土方役のHさんが商売道具の石田散薬を取り出して観客と交流したり,西郷隆盛が盛んに周囲の子供たちに声掛けをしていた(一部なまはげ状態だったというウワサあり (^.^)).出会った隊は幕末の著名人も交じるため,例年けっこう沿道からの声援も大きいのだが,今年も坂本龍馬(神楽教授)はかなりの人気だった.井上松五郎さんは一般の人にはあまり知名度がないのか,掛け声は少なかったが,毎年沿道で声援をしてくださるラブさんには今年も「ドクタ~!」とお声をかけていただいた(私をこう呼ぶ人は世界に一人しかいません 笑).
 甲州街道を進み,例年なら日野駅に行くのだが,そこまでは行かず,途中の八坂神社に入る.ここでしばし時間をつぶしたのち再び出発,途中で恒例のお茶配りタイムとなり,みな乾いた喉をうるおした(配布場所のすぐ後に係員がいたせいか,ここで飲まなきゃいけないのかと焦っていた人が結構いて,係員が「向こうにも回収場所がありますから」と説明する一幕もあった.

ミラーに映った出会った隊

日野地区パレード

不動尊での帰陣式

今年の出会った隊です
 
 今年の日野地区パレードは同じコースを2周し,1回目は行進のみ,2回目はパフォーマンスという流れだった.当然先頭からパフォーマンスをするわけで,我々はまたまたしばらく待機となる(待機が長いのはひのパレのツボですから特に感慨はありません 笑).待機中にも前方では様々なパフォーマ ンスが行われているらしかったのだが,もちろん出会った隊の位置からは見えなかった.そうこうしているうちにようやく出会った隊の順番がやってきた.我々は多摩の土方さんの音頭で勝鬨をあげたのでした.
 2周目が終わって,さあふれあいタイムかと思いきや,そのままバスで移動とのこと.実は今年は日野地区パレードの後,最後にもう1回高幡地区のパフォーマ ンスがあるからだった.とはいっても,例によって我々はほぼ最後の移動のため,またまた待機である.ふと見ると中央公園や実践女子大に向かう坂道が見えまる.例年だとパレードの最終段階で,暑さと疲労で隊士一同無口になって黙々とこの坂を上るのだが,今年はそんな苦労をしなくてもいい.「今年は楽ですね~」と話してたら,神楽教授が「私はこの坂を登るのが好きなんですよ」と仰っていた(脱藩するガッツがある人はさすがです 笑).
 


11.最後のパフォーマンス

 長~い待機時間の後ようやくやって来たバスに乗って高幡不動尊に戻る.先発部隊はとっくに到着しており,来た順にパレード開始といった趣である.参道には赤じゅうたんが用意されていて,我が出会った隊も一人一人紹介され拍手をいただいた.
 パレード(今年の言い方だとパフォーマンス?)が全て終了し,最後に一同銅像前での帰陣式に臨む.お祭りの実行委員長さん,日野市観光協会理事長の川澄貫主,そして日野市長さんのあいさつがあり,最後にミスター土方の勝鬨で締めくくったのだった.
 終了後はあちこちで恒例の写真大会,私も八番組長のへこみ隊長やお友達と写真を撮って交流を深めた(とはいえ,今年は例年写真係で同行していたウチのKが来られなかったため,写真がきわめて少ないのだが).
 この段階で昨夜以来の疲労による睡魔に襲われてきた.そろそろ限界だなぁということで,やむなく私は着替え場所の信徒会館へと向かったのだった.
   

大河の主役八重さんと


アイスを一気食いして頭がキーンとなったへこみ隊長

お友達のMIHOさんと

   


         ご覧いただきありがとうございました.
       また来年どこかでお会いいたしましょう.

 
          



 

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